2018年6月26日火曜日

全日本マスターズレガッタ参加報告  松村治夫S47


全日本マスターズレガッタ参加報告

松村治夫S47



この3月末に7年間の鳥取生活を終えて4月に東京に戻りました。鳥取では「鳥取ローイングクラブ」を立ち上げて、湖山池で練習しながらレース活動等を進めてきました。4月下旬にシングルスカルを湖山池から相模湖に運び、「早大理工碧水会」としての活動が名実ともにスタートしました。今回出場したのは、シングルスカル、ダブルスカル、エイト、ナックルフォアの4種目です。

一人で漕いでいた鳥取時代と変わって、クルーで出場したのは、下位グループに低迷することの多い「碧水会」を、往年のように上位を争うクルーに底上げしたかったからです。そのための方法としてダブルスカルを荒川君と組むことにしました。彼を選んだ理由は、①エルゴ記録で8分を切っていた、②スカラーの中で私に次ぐ年齢だったことの2つです。60才代の我々が実績を上げれば、下の若手年代の目標にもなり、モチベーションを上げられると思ったからです。

(注)写真をクリックすれば拡大画像を楽しむことができます。

練習を始める前に2人で次の目標を立てました。①それぞれのスケジュールを互いに尊重する、②乗艇練習は相模湖コース2周(8㎞)のみとする、③むやみにローイング練習はしない。④ライトパドル、パドル中心の練習で基本に戻って技術的に進める、⑤リズムとフォーム作りはエルゴ練習で行う。⑥体力作りはそれぞれが自分のペースで行う。二人でのダブルスカル乗艇は、直前の公式配艇練習を含めて計10回となりました。

エイトの方は中平さんの代漕としての出場です。マスターズでのクォード種目とのレース間隔が1時間しかなかったためです。途中から加わったため、相模湖での乗艇練習にみんなのペースに合わせて参加しました。こちらは付フォアでの練習も含めて計5回乗りました。そのほとんどが、ダブルスカル練習後の乗艇です。その影響で、シングルスカルの練習は5回のみと漕ぎ込み不足のままレースに挑みました。

班蛇口湖での最初のレースはダブルスカル(カテゴリーG)です。このカテゴリーでの目標クルーは昨年度優勝の「日本ボートマンクラブ」です。世界マスターズでも3位に入るなどの実績があります。同じ組合せに入ったことから、4分を切らないととても相手にはならないと練習してきました。相手クルーのスタート練習を見てこれは並びそうだと思ったのですが、誤算がありました。スタ力後の艇速が練習時と違って思うように出なかったことです。スタートでは日本ボートマンクラブに出られ、じりじりと離されてしまいました。しかし漕ぎのリズムは出ており、1000mをもがくこともなく漕いで2位でゴールしました。相棒の荒川さんが肋骨の痛みで十分な力を出せなかったことは後で知りました。


次のレースはシングルスカル(カテゴリーG)です。割り当てられた艇がなかなか到着せず、リギング調整の時間までは取れずに見切り出艇しました。漕いでみると左右ともにオールが切り込むことがわかり、スタート練習は全て失敗でした。相手は昨年のマスターズで抜かれたメンバーも含めた5杯レースです。完璧なオールを引かないと離されてしまうことは、当初から想定済でした。スタートでは予想に反して飛び出し、「しめた」と思ってさらに艇速を上げたところで、オールが切り込みクラッチにロックされて動かなくなりました。艇が止まって出遅れたのはこれが2度目の経験です。全艇に先行されましたがその後はなんとか漕ぎ通して、最後は3位に収まり安堵した次第です。2レース後の同じカテゴリーGシングルスカルでは、荒川さんが1位で入りました。最初から競り合いながらも漕ぎ抜きました。肋骨の痛みに耐えてよく漕ぎ続けたものだと思います。ダブルスカルでの練習の成果が上がったと実感したひと時です。


初日の最後のレース、エイト(カテゴリーG)の番です。3レース目でしたが、十分なレース間隔もあって最も力を出せたという感があります。割り当てられた艇は漕ぎやすく、バランスが良くて艇速も伸びました。結果は最下位に終わりましたが、他艇と競り合う展開でゴール後の満足感もひとしおでした。その他にも、高島さん、小寺・野村さんのダブルスカル、そしてクォード出場と、碧水会の力漕が随所に見られるなど、活躍の広がりを感じました。


2日目は午前中に大型トラックへのエイトの積込作業を済まし、弁当を食べてから3クルーがナックルフォアで出場しました。500mレース一発なので気楽に参加でき、私が乗った昭和48年(平均)卒クルーは、前日のエイトよりもさらに良いリズムで漕ぎ通せたという感があります。


班蛇口湖の緑豊かな素晴らしいコースで、全国から集まったマスターズクルーの力漕を見ていると、レースへの参加に際しては健康第一でなければならないことがよくわかります。7080才代になっても漕げる体を作り上げるためには、体力維持に向けての日々の積み重ねが大事です。たとえ今は勝てなくても、ボートが漕げる体を維持して参加していけば、いつかは年代別の1位になれる可能性があります。


陸上の世界マスターズで、100m走での97才と96才の優勝争いが先日放映されていました。97才の優勝者は、レースの一週間後に永眠したとのことです。105才で100m走の世界記録を作った日本人の話も放映されていました。


もし、碧水会で100才超(カテゴリーN)のエイトが組めたら、出場するだけでそのまま世界記録となるでしょう。自分の最期の日が来るまで健康な体でボートを漕ぐことに挑戦してみようではありませんか。介護施設の世話にならずに自力で生活し、目標を持ってスポーツを楽しみながら、誰も悲しむことのない最後の日が迎えられたら、人生の過ごし方として最上ではないかと思っています。

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