2019年6月30日日曜日

大阪マスターズ参戦記 M4+ 1000m (D)=H03クルー 

令和元年(2019)6月1日(土)
場所:大阪府立漕艇センター(浜寺コース)

大阪マスターズ参戦記 M4+ 1000m (D)]清野隆司H02

私たちのクルーは、C中平先輩、S清野、3本田、2野村、B山本というメンバーでした。私は、3か月前に本田たちから声をかけていただき、シェルフォア出場することを決意しました。漕手は、私以外は1学年下の代であり、学生時代から一緒に漕いでいたメンバーでした。

普段は、関西で別団体でナックルで漕いでいるのですが、シェルレースは愛知池マスターズ以来でした。ほかのメンバーに迷惑をかけないよう、走り込みとスクワットだけはしておきました。不安だったのは、当日まで乗艇練習がゼロということでした。果たして、バランスが取れて漕げるのだろうか・・・

前日は、栗原先輩からの誘いで、先輩方と大阪なんばで串カツを食べて、元気をつけました。


 さあいよいよ当日。高師浜駅から徒歩20分以上歩いてレース会場入り。朝7時ころクルーが集合しました。レースは8時58分。私は、ナックルでのスタートは刻み3+スタート力漕7+コンスタントでやってたとクルーに話しましたが、中平先輩からの一言で、刻み6+スタート力漕10本に変更。それもぶっつけ本番で試すことになりました。ピッチは30から32くらいで行こうと決めました。

レース50分前に船台蹴り。バランスを確かめるようにノーワークを漕ぎ始めましたが、思ってたよりもバランスがよい!! 「これなら漕げるかも」と心の中で思いました。中平先輩からも、「そんなに悪くない」と言っていただきました。スタート練習を何度かやって、いよいよレースです。対戦相手は、魚崎ローイング、瀬田漕艇クラブ、一橋四神会と早大理工碧水会でした。

アテンション・ローの審判の旗と同時にスタート! 力まないようにしたつもりですが、無意識に力んで、スタートダッシュで他の3艇に置いて行かれました。スタリキピッチ34~コンスタントピッチ32。これ以上離されないようピッチをキープしました。

コンスタント勝負。漕いでいるうちに、だんだんいい感じで艇が進むのを感じました。なんといってもぶっつけ本番ですから、勝負できているだけでも上出来なのかもしれません。最初の500mでは、3艇に置いて行かれましたが、そのうち1艇一橋四神会だけは逆カンバスくらいにいたと思います。

ここから踏ん張りどころ。何とか、一つでも上位に行きたい。強蹴りを何度か入れて、残り300m位で一橋四神会に並び、差し抜きました。これはいける・・ 最後は、何とか漕ぎ切り3位でゴール。タイムは1000mで4分4秒。優勝は魚崎で3分53秒 11秒の差。水空き1艇身くらいか。

負け惜しみかもしれないけど、練習を積めばよい勝負になるのではないか、と感じました。ポテンシャルは、まだあると思いました。

来年は金沢と聞きました。少し鍛えてまた挑戦したいです。



大阪マスターズ参戦記 M8+ 1000m (G)

令和元年(2019)6月1日(土)
場所:大阪府立漕艇センター(浜寺コース)

[大阪マスターズ参戦記 M8+ 1000m (G)橋本豊勝S50

浜寺で勝利すべく、50年卒4名(鳥羽、池田,井窪、筆者)に強力補強として松村、渡部、栗原、残りを高橋でうめ、老練の先をいく吉田さんにコックスをお願いしクルーを結成しエントリー。

遅まきながら4月より練習を開始、ナックル乗艇数回、軽度の低体温症患者が発生するほどの過酷な練習を実施(雨と気温が低かっただけ)、5月に入り漸くクルー全員がそろい乗艇練習を2回も実施。

こんなんでいいの、マスターズレガッタをなめてんじゃないかと思わなくも無いが費用対効果が最大の練習ができたと信じ、大阪へ出陣。

当日、天気晴朗なれど波少々、ゆるい逆風とまあまあのコンデション。 これより、7番シートの視点でレースを回想。

11:46スタートの数十分前に船台をけりウヲームアップ開始、途中戻りの審判艇に軽く接触大事にいたらず、アップを終えスタート地点へ向かう。

ボートの高校生の経験不足と風の影響で、艇は流され曲がり何度も付け直す、おまけにピッチ計が故障、先が思いやられる。

1レーン多摩川C、2レーン碧水会、3レーン一橋四神会、4レーン名古屋君津団塊連合、5レーン名古屋君津連合と並びいよいよスタートへ。

スタートでいきなり左へ曲がり1レーンに進入、すかさず審判艇が白旗を振り「早大理工」と警告、あわててバーサイド休め状態で自コース戻り必死にスタリキ。

このバタバタ状態の間に5レーンが瞬間移動したかのように視界から消失。


スタリキからコンスタントヘ落とす時点で、我が艇が集団の先頭に、半挺進おくれて3レーンその後に4レーン、1レーンと続く、しばらくこの状態でたんたんと進む。オールが合っているとはいえないが我慢して漕ぎ続ける。残り300M当たりから3レーン四神会に徐々に追い込まれる、これやばくない。残り200M後ろからは2枚上げろの檄が飛ぶ、しかしコックスからの指示はない、どうしたらいいの

この場合? 追い込まれる速度と残り距離から鼻差以上で逃げ切れると判断そのまま漕ぎ続ける。集団先頭でゴールラインを通過と思いきや、あれまだ漕ぐの?ゴール後数本スパートを追加して終了

審判の白旗を見てホッ。 ここまで読まれたかたは、もしかして優勝?と思われたかもしれませんが、残念。5レーンを見ると黒いシャツのクルーが一息いれて船台へ向け漕ぎ始めていた。

優勝はできなかったが、万年最下位を脱出できてよかった。 来年は金沢、この雪辱を晴らそうなどと口にするものはなく、どこの温泉に泊まろうかで話題が盛り上がる。

この拙文を読み、反発や憤怒を感じた方、是非来年温泉へ行きましょう。

大阪マスターズ参戦記 M1X 1000m (H)、M2X 1000m (G)

令和元年(2019)6月1日(土)

場所:大阪府立漕艇センター(浜寺コース)


[大阪マスターズ参戦記
 M1X 1000m (H)
 M2X 1000m (G)]





シングルスカル M1X 1000m (H) 松村治夫

昨年まではダブルスカルが早朝に行われ、シングルスカルが昼前、エイトは午後と約3時間おきにレースが行われていた。今年は、参加者が増えてスケジュールを変更した部分があり、その影響を受けて、昼前にエイト、1時間半後にシングルスカル、3時間後の夕方にダブルスカルのレースとなった。


エイトは、スタートで蛇行して昨年と同じように君津・名古屋連合には徐々に出られてしまったが、2位に付けて、相手を見ながら3位以下の4クルーをリードするというレースが初めてできた。

エイトの後はシングルスカル(H)で、ゴールしてから出艇まで1時間しかなかった。Hカテゴリー(70〜74歳)は8クルーの出場だが、魚崎RCが棄権して、世界マスターズで優勝している瀬田漕艇クラブの安達温二さん、中電火力RCの古川洋幸さんと当たる組合せになった。安達さんとは4月初めの神奈川レガッタで競い、古川さんは現役時代から全日本選手権ではいつも顔を合わせるスカラーで、二人とも自艇を持参して参加。

エイトのレースで少々頑張り過ぎたため、ローイングやスタート練習は一部のみに止めて、ひたすらに疲労回復に努める。コンディションは逆風で、最重点目標のダブルスカルのレースが後に控えている。最初から無理に飛び出さず、コンスタント重視の効率良い漕ぎを目指して、ラスト300mで安達さんと勝負することにした。

スタートでは、横風の影響で左右のオールのバランスが崩れたため、安達さんには出られたが古川さんをリードして進む展開となる。漕ぎのリズムは悪くないが足がやや重たく、先頭から徐々に引き離されていることを知る。700mからピッチを2枚上げて強蹴りで迫ろうとしたが、そのまま状況は変わらず10秒差でゴールする。Hカテゴリー全体の2番目のタイムで、神奈川レガッタの14秒差から4秒縮められたので、練習の成果を感じたところである。



ダブルスカル M2X 1000m (G) 松村治夫・荒川裕明

シングルスカルの後は、昼食をとって一休みしたため、体力も回復。2時間後にダブルスカルで出艇する。5杯レースの中で、目指す相手は昨年10秒差で敗れた日本ボートマンクラブの児玉・池田クルー。彼らが昨年出した3分50秒のタイムは、ダブルスカルの中でA・Bカテゴリーを除くと最速で、4年間にわたってこの種目では負け知らずとのこと。昨年は荒川君が肋骨にひびが入って力が思うように出せず、コンスタントに入ってから徐々にリードされてしまった。今年は十分な練習を積んだため、結果がどうなるか楽しみであった。

割り当てられた艇は相模湖で乗っている「皐月」よりも軽く、ウォーミングアップの追い風ではこれまでにない艇速で進んだ。問題は逆風下のコンディションで、体力のある日本ボートマンクラブと対戦するのであれば、ハイピッチ漕法で挑むしかなかった。

スタートは逆風の中をピッチ35で飛び出し、スタ力もピッチ32で進んで半艇身出ることができた。コンスタントではピッチ30で漕ぎ続けたが、500m過ぎで並ばれて600mで少しリードされた。ラスト300mで強蹴りを入れて艇速を上げ、そのままゴールまで競り合った。相手もさるもので必死に粘る二人の顔が見えて、決して艇速は落とさなかった。2艇の競り合いがゴールまで続き、結局は1.4秒(1/3艇身)差で2位となって、3位以下とは30秒から1分の差がつくレースとなった。逆転可能なレースであり、蹴りの力もまだ残っていたのに追い抜けなかったのは、クルーの漕ぎのリズムが今一つ足りなかったのだろう。

相手クルーの方が我々よりも体力が上回ることから、今後の課題としては更なるエルゴ練習や体力増強に努めて、来年のマスターズで再戦したいと思っている。期待に沿えず残念な結果となったが、応援下さった皆様たちに感謝申し上げます。



大阪マスターズ参戦記 M1X 1000m (G) 

令和元年(2019)6月1日(土)
場所:大阪府立漕艇センター(浜寺コース)


[大阪マスターズ参戦記 M1X 1000m (G)]荒川裕明S52

シングルでの参加は今年2年目。昨年は強豪達が運良く別レースに組み込まれた(本大会は同じカテゴリーの中でも年齢順に組まれるようだ)ため1位となったが、それでもゴール前の追い上げは厳しくなんとか逃げ切った、というかつかつの1位。今年はその強豪たちがGカテを卒業しHカテへ移動、しかし若い選手が新たに参加している。

ざっと事前調査すると、6コースにパルテの熊谷君、彼は同期だが2年程前に膝を手術し練習中断、腹の出具合から完全復帰には至っていないと思われるが要注意。5コース私で、4コースに団塊号の長野さん。彼は今年のマシンローイング60歳以上の部での全国3位、2000mの社会人選手権60歳以上で常に決勝に残る実力者です。一昨年はその社会人選手権で彼に負けておりますが、元々彼は2000mを得意としており付け入るスキはあるはず。4コース瀬田漕艇クラブのOさんの実力不明、2コース小野湖ボートクラブRさんは昨年勝っているので問題なさそう、1コース龍水会Fさんも不明。という事で1ー3コースは問題なく4ー6コースの戦いと考え、特に4コースに注意した。彼に勝つにはスタートで先行するしかない。出来れば艇が見えない水が空く程度まで。


ところで今回、前に行う自分のダブルスカルのレースのスタート時間とシングルのスタート時間が50分程度しかない。なのでダブルレース終了後の艇片付けは空いている人にお願いし、シングル艇も同時に持って来てもらい、さらに事前に受け付けも終了、自分は台船上オールを持って移動するのみ、という際どい岸蹴り。

因みにダブルのレースも厳しかったのでほとんど足は使い切っていたが少しでも休もうとノーワークでスタート方向へ向かう。熊谷君には明日の同期ナックルレースの為に無理しないよう伝え、4コースに的を絞る。皆さんの協力のおかげでなんとか逝きかけた足は復活してきたような気はするが、何しろアップするより休んだ方が有利と考え、脚力は試さずスタートまでは水上をタラタラ行ったり来たり。

で、スタート。使いやすいオールを持参したせいか特に引っ掛かりや切り込みもなく普通に加速、スタリキ終了時には他艇に1艇身以上の差が付いた、3コース以外は。ん?3コース誰だっけ?半艇身くらいで200m過ぎても付いてくる。しかし、今年については30本ローイング10セット、乗艇後の5000mエルゴ、等ダブル練習で取り入れた持久力アップの練習の効果か、艇速をあまり落とさずに1000mを漕ぎ切る自信が付いていた。

いずれ3コースは落ちてくると考え4コースの出方に注意しながら漕ぐ。案の定400mあたりから4コースが出てくる、というより3コースが落ち、4,5コースの1.5艇身差がそのまま続く。

700mまでは勝利を意識せずただ長野さんに追い付かれないよう我慢、残り200mとなりやっと勝てるかも、と欲がわきスパートに入るが力が出ない。仕方ないのでレートを上げて何とかゴールを突っ切る。

終わってみると2艇身程度の差で勝てたようだが疲労困憊、一刻も早く休もうと台船に向けて漕ぎ着けようとすると、まだ着けないでと止められる。見ると言い付けを守った熊谷君と1コースがまだレース中で審判艇の白旗が上がっていないのに気が付く。やれやれ兎に角も2連覇達成。

確かに超強豪達の間で、このGカテだけちょっとゆるい状態ではあり、Hカテに入学した松村さんにはGカテであのタイムで勝つなんて何と運のいいやつだ、と言われますがちゃんと風も吹いていて、それなりに大変だったのです。来年あたりさらに強豪がGカテに入学してきそうなので、運も尽きる。新しいゆるい種目を開拓しなくてはならない。


大阪マスターズ参戦記 KF 500m (G)=S50クルー


令和元年(2019)6月2(日)
場所:大阪府立漕艇センター(浜寺コース)




   [大阪マスターズ参戦記
    KF 500m (G)=S50クルー]





レース2日目,スタート時間が13:55と遅いので、昼食に間に合うよう9時半頃ホテルを出発。冷えたスイカが楽しみだ。

クルーは、前日のエイトの内の50年卒の4名(池田、筆者、鳥羽、井窪)、コックスは吉田さんで出漕。作戦は特になし、勝負が見えたら流す。

現地に10時半頃到着、先行していた人たちの活躍により、エイトのトラック積み込みは、ほぼ完了していた、お疲れ様です。

ここで大事件発生、スイカがない。些細なことだがモチベーションが下がる。しかたない、気持ちを切り替え弁当を食べ、時間になるまで休んでいよう。

スタート40分前、準備体操を終え、割り当てられたナックルに乗艇。乗ってから気がついたが、自分のレールがかなり前についている。レールを直す時間は無いのでストレッチャだけ合わせた。

少し漕ぎにくいが500M位なんとかなるだろう。アップを開始、スタート練習動きが硬い、昨夜飲みすぎかな、いやあのレセプションで飲みすぎるわけが無い、前日の疲れが残っているようだ。

やはり風呂のある宿がいいなと余計なことを考え、集中力を欠いたままスタート地点へ。1レーン壁水会S52,2レーンTMRC、3レーン浜松BCヤマハ狩野川RC混成、4レーン壁水会S50、5レーン医王会、6レーン諸富艇友会 いよいよスター

スタートやはり出遅れてしまった。なんとかついていこうと必死に漕ぐが徐々に差をつけられる。先ず5レーンに水をあけられる。残り200M位で、3レーン次いで2レーンと水をあけられ、今年のマスターズはこれで終わりか、遠く1レーン見ると巨大化した熊谷に気づく、目を凝らすと他の3人が熊谷を運んでるように見える。ここには負けられない。

レースは終盤、碧水会のマッチアップレースと化す。(と言っても4位争いだけど) けってもけっても差がつかない。とうとう並んだままゴール。これで本当に終了。

船台につくと反省会などせずに、シャワー室に直行、着替えて家路を急ぐ。反省は来年マスターズにでられたときにするとしよう。後日レース結果を知るが、0.3秒差で負けていた、船の差だろう。